2009年04月20日

悼む人  天童荒太

新聞等で得た情報をもとに、事故や事件で人が亡くなった現場を訪れては、「悼み」を繰り返す主人公、坂築静人。彼と彼の家族、そして彼と出会った事で救われた人々の姿を描いた直木賞受賞作『悼む人』です。




さて、内容が内容だけに批判的なことは書きにくいのですが、やはりこの作品は私にはダメでした。直木賞候補紹介のあらすじを読んだ時点で、宗教じみた感じが好きになれそうにないなあと思っていたのですが。
そういった意味では、読む前から先入観を持っていた事も影響しているとは思います。ただ、当初懸念していたほど宗教色を感じなかったし、それよりも不満だったのは、私がこの作品において一番大事だと思う所が、まるごと抜け落ちていた事なんです。

先に細かい点を挙げさせていただくと、いくら悼みの旅を始めて数年の時が経っているとはいえ、静人が説明を求める人間に対し「病気みたいなものなんです」と完全に開き直ってしまっている点や、彼と深く関わろうとした人が皆彼に好意的な視線を向ける様になるのも腑に落ちませんでした。

しかし何よりも納得がいかないのが、ラストの静人と母 巡子の場面です。末期癌におかされ余命わずかと宣告された静人の母は、投薬治療を打ちきり、自宅で最後を迎える事を選択しました。息子がまた家に戻ってくる事を期待しつつ、しかし敢えて連絡をとろうとはせず。そして家族はそんな彼女の意を汲み、悲しみを堪えながら介護を続けます。
最大の理解者であり、自分を支え続けてくれた人々の苦境に、何もする事ができなかった。その事実を前に、静人は己をどう省みるのか。それは一つの重要なポイントになるだろうと思い、私は読み進めていきました。ところが結局、彼が母の死に目に立ち会えたのかは読者に委ねるような形で描かれ、その死は感動の場面に仕立てられていたのです。
正直、いくらなんでもそれは安易すぎるのではないかという気がしてなりません。自らの死期を前に、恐れと戦いながら、悔いのない最後を迎えようとする巡子の姿は自然と読む者の胸を打ちますし、それを見守る家族の苦しみは、それぞれが自分の未来や過去と重ね、様々な事を考えさせられるものとなるでしょう。とはいえ、それが最後にまるで静人の行動を肯定し、有無をいわせない感動の演出へと繋がっているのは如何なものかと思ったのです。


私はやはり死者を悼む、死んだ者の事を思い続けるは、生前その人物と何らかの係わりがあったものがすべきことだと思います。誰にも看取られる事なく死んでいく人が増えている中、現実には難しい時もあるかもしれません。
しかし静人は悼む際、死者が生前、どんな人に愛されどんな事で感謝されたかを思い、些細な繋がりからでもそれを見出だそうとします。ならば、その些細な繋がりであれ、また間接的なものでも、死者と係わりを持った者が、記憶の片隅に死者の存在を留めていくものなのではないかと。
そして静人のような人が世界のどこかにいてほしいと願うのは、本来それぞれが分け合って背負うべき荷物を誰かに委ねて、見て見ぬ振りをしてしまう事のようにも感じます。ただそれはあくまでも私が今「生」の側に立っているからなのでしょうが。


ところで、読んでいてどうしても分からなかった事が一つ。後半、冥福は祈らないと語っていた静人が、唯一冥福を祈っている場面があるのです。たしかホテル火災の被害者に対して、現場には立ち入ることが出来ずに、ホテル横から冥福を祈っていたと記述されていたはずです。
これは、あくまで随行者である女性の視点から描かれた場面だからの「祈る」なのか、それとも彼女と旅をともにしたことで生じた静人の揺らぎの現れなのか。これだけはいくら読んでも分からず仕舞いでした。


posted by たまねぎ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | た行の作家さん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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