和哉という通信関係の会社に勤める男が主人公で、水野さんという女性と車でどこかに行くって始まりなんです。二人の間はどこかよそよそしくて、あまり親しくはない感じです。
実は水野さんは亡くなった和哉の兄・哲哉の別れた恋人で、遺品整理の際に出てきた連絡先に電話をしてみたらたまたま繋がったというきっかけで二人は知り合いました。
その二人が何のために何処へ向かっているのかは、しばらくしないと出てこないんですが、そこに行くまでがちょっとまどろっこしい。
ロードムービー調の話で、目的もはっきりしなければ、何か事件が起きてという展開もないのは辛いです。ただ淡々と車が進んで、そこにいない人間に対しての何かが二人に作用もしない。下心丸だしな粘っこい和哉の視線ばかりが目立ってしまう。
駄目男の話って読んじゃってもいいんだけど、それにしては中途半端だし、芥川賞という点で言えば西村さんの駄目っぷりが際立ってるから、色褪せるのも目に見えてます。とにかく読みどころが薄い。主人公のあざとさだけが印象に残って終わっちゃいました。
結婚して間もないマキとの生活は倦怠感が漂って、そんな時に表れた水野さんは知り合った頃のマキに雰囲気が似てて、思わず意識してしまう。そこまでは仕方がないとして、マキには会社と嘘をついて旅行に出て、水野さんには彼女はいませんという答えるのがまずおかしい。変な所でカマかけてるのも欝陶しい。
生前に兄が残したあるものを見届けに行くのに、そんなあわよくばなんて心持ちで行くのはどう考えても最低でしょう。揚句の果てに拒まれた後に「何で誘ったの?」とか聞きますか。どう見ても勘違いだろうに。水野さんが抱える親近感は、兄弟の似通った仕種に、かつて愛し今は死んでしまった男の影を見たからで、さらには義弟になったかもしれない相手というのがあるだけでしょうが。
読み終わって結局何が言いたいんでしょうか?と聞き返したくなってしまった話でした。
しかし中山さんの不思議な所は前に読んだ『さりぎわの歩き方』の時もそうだったけど、表題作はあんまりなのに併録されている話は悪くないって事で、妻の流産をテーマにした『木曜日に産まれて』は読めたんですよね。芥川賞候補になったからって慌てて本にしないで、もう少し作品をためて別の話をメインにして出せばいいのに。

これはある日の晩御飯。居酒屋の肴みたいなオカズになるのは酒好きの性でしょうか。ちなみにこのアスパラベーコンとえのきベーコンは、私にとって屈辱…いや思い出の味であります。
あれは私がまだ希望に満ち溢れていた学生時代の事。当時アスパラベーコンにハマっていた私は、仲間達との酒宴の席で、ことあるごとにやっぱアスパラベーコンは美味いよと放言しておりました。
さて腹もビールでタプタプとなったので厠へと中座し、ああ、あの頃は飲み放題ともなればジョッキをゆうに10杯はたいらげていたのです、いやはや失敬しましたと戻りて目の前の串焼きを一本パクりと頬張りました。
すると周囲の者達がなにやらニタニタと人の顔を伺うように笑いを忍ばせるではありませんか。なんじゃいと問いかけてみれば、どうだいアスパラベーコンは美味いかい?と尋ね返してきます。
おうともよ、酒のつまみはこれにかぎると、いつものように息巻いてみれば、たちまち辺りは爆笑の渦に。何かねと問い詰めてみれば、なんと私が小用を足している間に、ベーコンの中身をアスパラからえのきにすり替えたと言うではありませんか。
私はそうとも知らず、美味い美味いとしたり顔でえのきを噛み締め、アスパラの素晴らしさを説いていたのであります。日頃の言行もあり、さすがにこれには言葉の返しようもなく、ただただ恥じ入るばかりでありました。
とはいえ、それから年月も過ぎれば、その場に居合わせた誰もが人に誇って話せないような酒に関する逸話を持ちあわせるようになり、今となってはよい思い出でもあります。
現に年に数度顔を会わせることがあれば、誰かしらの何かしらの話が遡上に載せられては、座興の代わりにさせられるのでありました。
そう、今となっては確かに笑い話。しかし私は今でもアスパラベーコンを口にするたびに、ふとあの時の、恥ずかしさのあまり血がのぼり、耳の先まで赤く染まった瞬間の熱気をほろ苦く思い出したりもするのでありました。
と、あまりにネタがないので、どうでもいい話を文学風に大仰に語ってみました。いや意味は全くありません。食後の腹ごなし、ただの暇潰しです。
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