ところで「エントロピー」という言葉を前にしてなんだかムズムズしてしまうのは私だけでしょうか。なんか分からないけどエントロピーと一発ギャグの様に叫んでみたくなってしまうのです。どう考えても自分だけだろうな…。なんと言いますか、エーイドリアンー!と同じ感じなんです。
まあ、それはいいとしまして、著者紹介によりますとダン・シモンズという人は代表作にSF小説の傑作ハイペリオンシリーズがあるとの事。しかしその辺門外漢の私は多分初耳、もしかしたらどこかでタイトルを目にしていたかもという有様。それぞれのジャンルについて系統だてて読まない、気の向いた時にあっちゃへフラフラこっちゃへフラフラな選択がいけないんですが(汗)。反省。でもこの本はかなり良かったので俄然興味が沸いてきましたし、ばっちり気になる本のリスト入りです。
ただ、この本を読んで私が強く惹かれたのはSF的な世界観の見事さとか驚きじゃなくて、大切なものを失った人間が抱える喪失感や戦争が人に与える影響の描き方に、モチーフとしての社会の切り取り方でした。だからこそ、この人がSFの舞台設定を用いた長編作品で書いているものに興味が出てくるのですが。
さて、収録されているそれぞれの話については、また例の如く続きでネタバレ含みで書きたいと思います。しかし、奇想コレクションはその名の示す通り、ちょっと変わった癖のある話が多くてなかなか素直には勧めにくいのですが、これは特にそうかもしれません。可愛い表紙とは裏腹に、かなり痛く苦い話が多いのです。

『黄泉の川が逆流する』
母が大好きだったと語る少年。その葬儀を終え帰宅した彼と彼の家族は、その家で、その母の帰りを待っているのだという。棺に納められ地の底へと埋葬された母の帰りを。
一体どういう事なんだろうと疑問を抱えたまま読み進めたのですが、その先で明らかになった事実に背筋がゾーッとしてしまいました。想像するだけでも悍ましい。
愛する者を失ってしまい、その深い悲しみから現実を受け入れられず、どんなものでもいいから縋ってしまう。それはどうしようもない事なんだろうけど、それを満たすためのものが完全にシステム化していて、ケースワーカーみたいな立場の人間も存在し、コミュニティが成立しているのが、怖いです。それを許容してしまう社会が形成されているというのを考えると特に。
死体を人形化してしまうという話は前に読んだ記憶があったなあと悩んでたら、三崎さんの短篇だと思い出したのですが、話の向きがまったく反対なのが興味深かったです。
この作品の場合は死体の保存方法としてもう少し生々しい手段を用いていて、要はゾンビ化させているわけですが、死を受け入れられずその亡きがらと共にあり続けた場合に起こる事態としては、こちらの方が自然なのではという気がします。勿論三崎さん話も良かったんですけどね。やっぱりそれは本来不自然な事であり、歪みが生じてしまうのが当たり前だろうと。三崎さんの『送りの夏』の場合は別れを前提としたものであり、本来比べるような話ではないのですが。
『ベトナムランド優待券』
ベトナム戦争からおよそ四十年後のサイゴンが舞台。初出が1987年だから作者は未来を想定して書いたんだろうけど、奇しくも今現在と時代的には一致しています。そこではベトナム戦争中の状況を忠実に再現し、完全にレジャー化してしまっていると。ヘリに乗って模擬弾を機銃掃射する子供とか、サバイバルゲームの様に当時の行軍を再現するのも笑えないけど、何よりそれが退役軍人ツアーに組まれているとか、国の補助でというのが洒落にならんです。
前の話もそうだけど個人が追い詰められておかしくなってしまうのではなくて、どう見ても狂った状況なのにそれが制度化され当たり前のものになっている事が、非常に強い違和感を生んでこちらの気持ち悪さを増してきます。このベトナムランドにしても、外貨獲得の手段としてベトナム側からも有益とされているのが読みとれるし。
『ドラキュラの子供たち』
この話が個人的には一番衝撃が強かったです。タイトル自体が一つの伏線、引っ掛けになっていて、返して返しての展開にも驚いたけど、それ以前の内容が惨い。顔をしかめずにはいられませんでした。
革命後のルーマニアが舞台。復興支援の使節団の一員として疲弊した国の状況を見て回るという話なんですが…。チャウシェスクの子供たちについては歴史的な事実として認識はしていたつもりでしたが、その内情がこれほど酷かったとは。
産めや増やせやの政策で避妊と堕胎を禁止し、子供を多くもうければ補助金を出し、そうでなければ罰金を課す。今で言う隣国の一人っ子政策と真逆の政策です。しかし経済の破綻と政府転覆の結果から大量のストリートチルドレンを生み出してしまった。それがチャウシェスクの子供たちと呼ばれています。
彼等のその後まではきちんと知らなくて、国により集められ保護されているはずの彼等が置かれていた状況について今回初めて知りました。
ありきたりの災難ですよ。ドラキュラなら話題になる。でも政治的な狂気や官僚主義や無能さの犠牲になって何十万の人々が苦しんだところで…それはただの…ちょっとした不都合でしかない。
作中で主人公がそう語っていて、それも確かに一つの側面として間違っていないんだけど、それはどうにか変えていかなきゃいけない事だと思います。それが出来なければ人は何度も同じ過ちを繰り返して、やがて本当に破滅を迎えてしまうかもしれない。
でも…今の世界を見ていると、形が変わっただけで中身はさほど変わっていないんじゃないかって気もしてしまいます。蛇足ですが。
『夜更けのエントロピー』
表題作はこれまでと打って変わってごくノーマルな話。いやノーマルな世界の話。何かが起きてしまうんではないか、そういう予感に常に突き立てられるような一編です。
別居中の娘と久し振りに会い、泊まりがけでレジャーへと出掛ける父親。その道中、彼は保険調査の仕事で見聞きしてきた様々な珍妙な事故の事を思い浮かべる。そしてそれらが示すのは、用心を重ねても悲劇は思わぬ形でやってくるという事。
やがてこの家族が見舞われた過去のある出来事、家庭を崩壊させてしまった悲劇が明らかになり、それを知った上でさらに親子の楽しむ姿を見ていると、まさかという不安が胸を占めていくのです。
ところで作中でいくつかの映画のタイトルが登場するのですが、アルトマンの『M★A★S★H』が出てきた時にはニンマリしてしまいました。
『ケリー・ダールを探して』
アル中で職を追われた教師とその元教え子が、異次元世界で命懸けの追いかけっこをするという、とーっても変な話。こう書くと楽しそうな感じもするけど、実際はやはり痛くて、辛くて、苦い。
前の話と同じく、きっかけは愛する存在を失った事なんだけど、もう一つの共通点として挙げられるのが、共にベトナム帰還兵だという事です。PTSDが広く認知されたきっかけとして、日本ではおそらく地下鉄サリン事件や尼崎事故があると思います。しかしアメリカそして世界的にはやはりベトナム戦争の存在が大きいわけで、その爪痕の深さを改めて思いました。
『最後のクラス写真』
再びゾンビの話。今度はまさにゾンビたらけ。前にケリー・リンクの本を読んだ時にゾンビが好きだなあという印象が残ったんですが、ここでもゾンビゾンビで、アメリカ人はそんなにゾンビに恐怖を覚えるものなのかと不思議になってしまいました。土葬という文化的が背景が大きいのかな。
でも、よく考えるとアメリカって日本で言うところの妖怪的な存在とかって、あんまりピンとこないんですよね。まあ妖怪ってのは一方では神として崇められている場合もあるし、逆に畏怖の対象として祟り神なんかもあるわけで、これは多神教だからこそ成立するものなんだけど。
あーそうだ。エクソシストがあった。向こうは悪魔がいましたね。すっかり失念してた。
『バンコクに死す』
最後はアジアを舞台にしたエキゾチックなホラーです。若い頃に軍の保養休暇でバンコクを訪れた主人公は、友人に導かれ辿り着いた夜の闇の中で、とある怪異を目の当たりにする。友人はそれに魅了され、やがて命を落としてしまう。それから数十年後、彼は再びバンコクを訪れ…。
とりあえず、読みながら股間を押さえてしまいました。おかしい、間違ってるって。快楽よりも恐怖だろう、それは。ブルブル。


